参拝日:2025年5月7日水曜日
今回は大阪市天王寺区堂ケ芝(てんのうじくどうがしば)にある豊川稲荷大阪別院観音寺(とよかわいなりおおさかべついんかんのんじ)に参拝。
この寺院は稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視された仏教の女神、吒枳尼天(だきにてん)を祀っている曹洞宗の寺院であり、愛知県豊川市豊川町にある日本三大稲荷の一つ、豊川稲荷本院「妙厳寺(みょうごんじ)」の末寺である。
豊川稲荷大阪別院 観音寺

本尊
十一面観音(じゅういちめんかんのん)
吒枳尼天(だきにてん)
創建・由緒
明治31年(1898年)に、この付近の地主であった萩田利平が、この地を発展させようと豊川稲荷から吒枳尼天を勧請し、稲荷堂を建立したのが始まりとする。
明治38年(1905年)頃に、豊川稲荷本院妙厳寺では末寺の観音寺を当地に移転し、妙厳寺住職の壽硯黙童(じゅけんもくどう)を開山として、正式な寺院として大阪別院を発足した。
おキヌさん壽硯黙童さんは曹洞宗大本山永平寺の永平六十五世、福山黙童禅師(ふくやまもくどうぜんし)です。
本殿




1階は十一面観音像を祀る本殿になっており、2階が吒枳尼天を祀る稲荷本殿となる。
2階は階段を上り、本殿前で参拝する事が出来る。
狐像




ここの狐像は神社の狐像と違い、独特な見た目をしている。
奥の院 平八郎稲荷




本殿の横にある奥の院には、平八郎稲荷(へいはちろういなり)が祀られている。
平八郎は、豊川稲荷本院「妙厳寺」を開山した曹洞宗法王派(寒巌派)の東海義易(とうかいぎえき)に仕えていた狐といわれている。
妙厳寺開山の時、平八郎と名乗る翁の姿をした狐がやってきて、寺男として義易によく仕えた。
義易が入寂(にゅうじゃく・僧侶が亡くなること)した後は愛用の釜を遺して忽然と姿を消したという逸話がある。
今もこの釜は妙厳寺の本殿奥に安置されているという。
ちなみに豊川稲荷本院では平八郎を拝む場所は特に設けられていない。
堂ヶ芝廃寺


大阪は古代において東アジアの諸外国に向けた外交の窓口であり、六世紀半ばに伝来した仏教文化の最先端地域でもあった。
中国や朝鮮からの渡来人たちの力を中心として、早くから大阪の地に四天王寺をはじめ多数の寺院が建立されたと考えられている。
「日本書紀」「扶桑略記」「日本霊異記」などの書物にみられる大別王寺(おおわけおうじ)や百済寺(くだらでら)はその代表的な寺院である。
大別王寺は日本から百済への使者である大別王が建てた寺とも、住んだ寺ともいわれ、百済寺は百済王氏(くだらのこにきしうじ)の氏寺ともいわれる。
豊川稲荷大阪別院のある天王寺区堂ケ芝は、周辺から古代の瓦片が多数出土しており、古代の寺院跡と推定されている。
かつて土壇状(どだんじょう)の遺構や巨大な塔心礎(とうしんそ)も残っていた。
この地を大別王寺や百済寺の跡と考える説もある。
<参照・引用:境内看板>
地蔵尊


たかなし談話


吒枳尼天は一般的に天女が白狐に乗っている姿が描かれている。
元々はインドのダーキニーという裸身で駆け抜け人肉を食らう魔女が起源だ。
それだけ聞くと怖い仏かと思うが歴史の中で変わっていき、今では商売繁盛、五穀豊穣のご利益がある仏として信仰されている。
そんな吒枳尼天が祀られている豊川稲荷大阪別院 観音寺は曹洞宗の寺院と伝えたが、曹洞宗の大本山「永平寺(えいへいじ)」は日本で一番修行が厳しい寺として知られている。
永平寺で修行した僧侶は曹洞宗の中でも一目置かれる存在だそう。
野々村 馨(ののむらかおる)さんの「食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)」は、デザイン事務所に勤務していた野々村さんが30歳の時に突然出家し、曹洞宗大本山永平寺に上山して雲水として1年の修行生活を記録した本。
永平寺の修行の厳しさや内情がとてもよく分かる良書で、これから永平寺に上山する人や永平寺に出家したいと思っている人、永平寺の修行を知りたいと思っている人におすすめだ。
豊川稲荷は愛知県の本院と、ここ大阪の他、東京、横須賀、札幌、福岡に別院がある。
この周辺で他にダキニ天を祀っているところは、現在トラブルで休眠状態となっている大阪市阿倍野区にある正圓寺(しょうえんじ)がある。


豊川稲荷大阪別院は都会の中に囲まれているけど静かで綺麗で良いお寺でした。
アクセス
豊川稲荷別院 観音寺
〒543-0033 大阪府大阪市天王寺区堂ケ芝1丁目5−19 豊川稲荷別院観音寺


