参拝日:2025年3月18日火曜日
今回は大阪市西区にある楠永神社(くすながじんじゃ)に参拝しにきた。
楠(クスノキ)がご神木になっているというのを聞き、興味が沸いたからだ。
仏教やキリスト教などの外来宗教が入ってくる前の古来日本では太陽、空、草や木、落ちている石など存在する全てに神様が宿ると考えられていた。
それを宗教的にいうと原始神道や古神道といったりするけど、どんなものにも敬意を払い粗末に扱わないという素敵な考えだ。
今でも少なからず日本人の心にはそれが根付いていると思っている。
楠永神社

楠永神社の正式名称は「うつぼ楠永神社」という。
楠永神社がある住所が靱本町(うつぼほんまち)だからだろう。
靭をうつぼと読める人が果たして何人いるか...もちろんたかなしは読めなかった。
祭神名
楠永大神
楠玉大神
ご利益
不明
創建
不明(昭和3年ごろと思われる)
由緒
江戸時代に北浜(大阪市中央区北浜)にあった海産物市場が靭町に移転。
寛永元年(1624年)には海部堀川(かいふぼりがわ)という運河が開かれ、その時に人工的に作られた永代浜(えいたいはま)が船溜まりとなり、海産物の荷揚場として栄えた。楠はその時からあったといわれている。
昭和3年(1928年)12月、川岸の石垣工事中、楠の樹根から大きな白蛇が出てきたため、元の場所に埋め戻したが、それを伝え聞いた人々が多数参拝するようになった為、付近の有志者が樹の下に小祠を作り、楠永大神、楠玉大神を合祀するに至った。
楠永神社の名前は楠と永代浜から取ったとされる。
楠永大神


昭和10年(1935年)に大阪府山林会が発行した「老樹名木誌(大阪市之巻)」によると樹齢300年とされる。
おキヌさん令和7年(2025年)時点では樹齢は約390年となっています。400年近く枯れることなく健在なのはすごいですね!
大阪大空襲でも難を逃れ、戦後の占領軍が飛行場を建設するので伐採しようとした時も地元住民と郷土史家の牧村史陽氏の尽力により楠の上の部分だけ切り取られるだけで済み、ここに至るまでいくつもの困難を乗り越えてきた。
楠は1本に見えるが2本ある。なので楠永大神と楠玉大神の2柱が祀られているのだろう。
靭海産市場跡石碑


敷地内に靭海産市場跡の石碑と看板が建っている。
たかなし談話


靱には古来、産土神を祀る圓神祠(つぶらしんし)と呼ばれる祠が存在していた。
場所は不明だけど楠永神社の周辺にあったといわれている。
それらの神々は文禄3年(1594年)、現在の大阪市中央区淡路町にある御霊神社(ごりょうじんじゃ)に遷座している。
なので伐採しようとすると災いがあるといわれる一方、この楠永神社はただの飾りだと揶揄されているという話もある。
宗教全般に言えることだけど、たかなし的には信仰がある限り、神仏は存在するという考えだ。
つまり、楠永神社に誰も参拝しなくなったらただのクスノキに成り果て、参拝をし続けるならばそこの土地を守る神と成り続ける。立派な社が無くても本殿が無くても楠に神を感じ信仰する。
これこそ正に原始神道の本来の姿だ。
たかなし的には信仰とは何かを改めて考えさせられるだった。
アクセス
うつぼ楠永神社
〒550-0004 大阪府大阪市西区靱本町2丁目1












