参拝日:2025年4月21日月曜日
今回は富田林市嬉(とんだばやししうれし)にある腰神神社(こしがみじんじゃ)に参拝。
この神社は楠木正成に関する伝承が残っている地であり、腰神神社という名前はその伝承が元になっている。
腰神神社

祭神名
箕島宿禰(みのしますくね)
八大龍王(はちだいりゅうおう)
猿田彦尊(さるたひこのみこと)
国光大明神(くにみつだいみょうじん)
創建・由緒
腰神神社は嬉(うれし)の石川東岸に連なる山並みの市内最高峰、金胎寺山(こんたいじさん)より派生する山腹の巨石を御神体とする。
創始は大化の改新の大化元年(645年)ごろとされる。
和歌山県紀伊国(きいのくに・現在の和歌山県全域と三重県の南西部)の豪族、箕島宿禰は文武の師範として紀伊見峠を越え、嬉村に移り住む。
おキヌさん文武の師範というのは学問と武芸を教える先生です。
箕島宿禰の側室、玉藻姫(たまもひめ)は大和の国、桜井の豪族の娘(現在の奈良県桜井市)である。
箕島宿禰は河州にて文武を広めた後、功績を称えられ腰神神社に祀られた。



境内の案内看板では河川と表記されていますが、正しくは河州(かしゅう)で、河内国(かわちのくに・現在の大阪の東部)のことを指します。
元弘(げんこう)2年(1332年)のころに、楠木正成は金胎寺山に楠木十七支城(くすのきじゅうしちしじょう)の一つを築く。
建武(けんむ)元年(1334年)、観心寺(現大阪府河内長野市寺元)にいた楠木正成が後醍醐天皇の鎌倉幕府の討伐の途中、馬の千早丸(ちはやまる)の腰が立たなくなり、神社の藤の木につないでお祈りしたところ腰が治ったとある。
そして勝利の祈願をし、幕府討伐に出陣されたと伝えられている。
この時、楠木正成より、嬉村城山の守護神として一寸八分(約5.5cm)の黄金毘沙門天と菊水の御紋を賜る。
それ以来、神社に絵馬がかけられるようになり、名もある武将も多く参拝されたという。
<参照・引用:境内案内看板>
拝殿






腰神神社にある馬の絵図は、神に腰痛の平癒を祈り、無事に治った人が感謝の印として奉納されたもの。
狛犬




藤の木




「道ばたに うつ蒼たるや 藤の森」
水墨画家の雪舟がこの地に訪れた際に読んだ句。
文明18年(1486年)と書いてあるので雪舟が66歳ごろに立ち寄り、読んだ句と推測される。




楠木正成はこの藤の木に愛馬、千早丸をつないだとされている。
樹齢は約700年。
大石の神々




国光大明神


国光大明神の横にある岩の隙間から湧き出る清水は、参拝する信者からはこの水を飲めば持病が治るとされている。
不動明王像


石塔


力石




昔、若い衆が力を競い合った石。
60㎏、105㎏、120㎏の3つの石がある。
特に結界は無く、触れても良さそうなので力自慢は試してみてはどうだろうか。
たかなし談話


腰神神社はその由来から腰の痛い人の信仰が篤い神社でした。
腰神神社→金胎寺山はハイキングコースになっているらしく、ハイカーの方々が腰神神社に立ち寄り参拝していました。
腰神神社には水洗トイレもあって(しかもウォシュレットつき!)とてもハイカーに優しい神社です。
トイレを借りたら感謝の気持ちとしてお賽銭をおさめれば、トイレの維持管理にも繋がると思いますので使用された方は素通りせずに参拝して頂きたいですね。
大きい観光神社にトイレは良くありますが、このような場所にトイレがあるのは腰神神社の宮司さん、神職さんのお心遣いを感じます。
巨石がご神体ということで、石や草、木など、この地にある全ての物に神が宿ると考えられていた神道の始まり、原始神道を感じる神社でした。
自然の物を崇拝する神社は他にもたくさんあり、たかなしはそういう神社が好きなので見つけたらどんどん取り上げていきたいと思っています。
藤の木も樹齢700年を超えているだけあって、なかなかの老木ですがたかなしが参拝した時は少し早い時期でしたが藤の花の咲き始めを見ることが出来ました。
自然豊かでとても良い神社でした。
アクセス
腰神神社
〒584-0056 大阪府富田林市嬉62











