参拝日:2025年4月21日月曜日
今回は富田林市嬉(とんだばやししうれし)にある金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)に参拝。
金刀比羅神社は、琴平神社(ことひらじんじゃ)、事比羅神社(ことひらじんじゃ)、金比羅神社(こんぴらじんじゃ)とも呼ばれ、香川県琴平町の金刀比羅宮(ことひらぐう)を総本宮とし、大物主神(おおものぬしのかみ)を主祭神としている。
金刀比羅神社は全国的に「こんぴらさん」の名で親しまれており、この金刀比羅神社も「嬉(うれし)のこんぴらさん」とも呼ばれている。
多くの神社は神社本庁に加盟しているが、総本宮の金刀比羅宮をはじめとして、ここの金刀比羅神社も神社本庁に属していない独立した包括宗教法人「単立神社(たんりつじんじゃ)」となっている。
ここ、嬉にある金刀比羅神社は少し変わった経緯でこの地に建立されているので紹介していこう。
金刀比羅神社

祭神名
大物主神(おおものぬしのかみ)
崇徳天皇(すとくてんのう・第75代天皇)
創建・由緒
嬉の金刀比羅神社は元々大阪市中央区の千日前にあった。
大坂の陣後の慶長20年(1615年)、市内の墓地の整理により竹林寺(ちくりんじ)の南東一帯に「千日墓地(せんにちぼち)」と呼ばれる大規模な墓地が造られ、刑場・焼き場も併設された。
千日前という地名はこの「千日墓地」を由来とする。
この時代に香川県仲多度郡琴平町にある総本宮「金刀比羅宮」より神霊を分霊され、千日前(現在のYES・NAMBAビル)に金刀比羅宮の分社を建立した。
太平洋戦争終戦後、金刀比羅神社が鎮座していた土地の取得を目の前に本社があった吉本興業が希望し、取得することとなる。
その際、文化施設の入ったビルを建てるという総本宮である金刀比羅宮の要望により、上方演芸に関する資料の収集保存施設「大阪府立上方演芸資料館 (ワッハ上方)」が平成8年(1996年)に開館した。
この経緯により現在の富田林嬉に新殿を建立、遷座された。
神主は基本不在で、河内長野市にある千代田神社の宮司が兼務している。
拝殿

末廣稲荷大神


ここの神社にも稲荷大神が祀られていた。
稲荷神は、京都伏見稲荷大社の主祭神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の他、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、大宣都比売神(おおげつひめのかみ)、和加宇加乃売神(わかうかのめのかみ)、御饌津神(みけつかみ)など、穀物・食物の神が同一視されている。
その中でも稲荷神社で祀られている祭神は宇迦之御魂神か、豊宇気毘売神のどちらかである事が多い。
ここの稲荷神はどの神かは定かではないが、摂末社として祀られている稲荷神は宇迦之御魂神であることが多いので、ここの稲荷神も宇迦之御魂神である可能性が高い。
狐像


白長の大神

白長の大神と名付けられているこの社は蛇が祀られていた。
白蛇の神である白龍大神と同一神なのかもしれない。
たかなし談話

総本宮である金刀比羅宮をはじめ、金刀比羅神社は海上交通の守り神として信仰されていて、漁師や船員などの海事関係者の崇敬を集めています。
元々金刀比羅神社があった千日前も海が近く、また刑場や焼き場もあったことから崇敬者、参拝者が多かったと言われてます。
現在の地に建立した具体的な日は分からないですが、稲荷神社の鳥居には昭和40年建立と書かれてて、第二次世界大戦は昭和20年に終わっているので、昭和20年(1945年)~昭和40年(1965年)の間にこの地に建立されたと推測されます。
場所を移したという事もあり、富田林市にある他の神社と比べると地元の人からは馴染みが薄いとされてますが、時が経つにつれて地域に根付いていって信仰される方が増えてくることを願っています。
ちなみに、この神社の目の前の道路はロードバイクに乗った人が多かったです。
道は広くないですが、峠があるし、車も少ないのでツーリングに良い道だからですかね。
ぜひローディーの皆さんもこの道路を通ったら休憩がてら参拝してみてはいかがでしょうか。
アクセス
金刀比羅神社(富田林市)
〒584-0056 大阪府富田林市嬉550−1

