参拝日:2025年4月21日月曜日
今回は大阪府の河内長野市西代町(かわちながのしにしだいちょう)にある西代神社(にしだいじんじゃ)に参拝。
西代神社は楠木正成(くすのきまさしげ)ゆかりの地として知られている歴史ある神社だ。
西代神社

祭神名
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと・第14代仲哀天皇)
息長足比売姫命(おきながたらしひめのみこと・仲哀天皇の皇后、神功皇后)
品陀別命(ほんだわけのみこと・第15代應神天皇)
武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
創建・由緒
創建年代は不詳。
南北朝時代においては南側諸将の崇敬が篤かったとされる。
おキヌさん諸将(しょしょう)とは、将軍や大将のことをいいます。
楠木正成公(くすのきまさしげこう)の河内七城(かわちしちじょう)の一として、元弘(1331年~1334年)の昔、金胎寺城(こんたいじじょう)を構築した時その鎮守として篤く信仰した。
楠木正成の子、楠木正儀(くすのきまさのり)は天野山(あまのさん)の行在所(あんざいしょ)において後村上天皇(ごむらかみてんのう)を守護する時、当社に祈願をこめて国家の安全と武運長久を念じた。
後村上天皇も深く信仰され、吉野行幸の際、当社に御駐輦(ごちゅうれん)された。



御駐輦(ごちゅうれん)とは、天皇が行幸(外出)された際に、その場所に一時車を止めたり、小休止や滞在をされることをいいます。
江戸時代の天和2年(1682年)8月、本多伊予守忠恒(ほんだいよのかみただつね・本多忠恒)は、この地方を領して陣営を置き、本多忠恒の次男、本田忠統(ほんだただむね)は、父の遺領(いりょう)を継承して、当社を信仰し正徳年中(1711年~1716年)には神輿、矛、手洗鉢等々の寄進があった。
正徳5年(1715年)10月、宗源の宣旨(そうげんのせんじ)を以て、正一位の神位を授けられ、その後西代大明神と称し、明治の初め社号を西代神社と改める。



正一位(しょういちい)とは、神様に与えられる位(位階)で、その位の中で最高位となります。
神階(神位)の授与は神祇官や諸国からの申請に基づき、会議が行われ、最終的に天皇の勅書により決定されていました。
中世以降は神祇官を務めていた吉田家(現吉田神道)も神階を独自に発行するようになり、宗源の宣旨(そうげんのせんじ)とは宗源宣旨(そうげんせんじ)ともいい、その吉田家が発行した神階のことをいいます。
神階の制度は明治時代に廃止されました。
明治41年(1908年)に浦野神社・西山神社・菅原神社が合祀された。
合祀された祭神
素盞嗚尊:上原 元西山神社祭神
足仲彦命:上原 元西山神社祭神
息長足比売姫命:上原 元西山神社祭神
品陀別命:古野 元浦野神社祭神
武内宿禰命:上原 元西山神社祭神
菅原道真公:上原 元菅原神社祭神
国常立尊は西代神社創建時からの祭神となる。



明治時代の終わりごろに、神社の数を減らして複数の神社を1社にまとめたり、摂末社として鎮座させる神社合祀(じんじゃごうし)という政策がありました。
西代神社もその1社とみられ、神社合祀された神社は全国各地でみられます。
拝殿


狛犬




摂末社
西代稲荷








西代稲荷大明神には狛犬が鎮座している。
稲荷社に鎮座しているのは狐像が主だが、狛犬が鎮座しているのも珍しくはない。
神仏習合されていた神社でよく見かけられる。
大神宮


祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)
西代戎宮


祭神:えびす
地主大神


地主大神として、黒龍大神が祀られている。
境内
神祖の森


神楽殿


神馬像


たかなし談話


西代神社は境内が広く、木陰やベンチがあり、静かでとても過ごしやすい神社でした。
境内にあった神祖の森というのも小さいながらも自然を感じることが出来てとても良かった。
西代神社のある河内長野市には、楠木正成に兵法を教えた「大江時親の邸宅跡」や、南朝の拠点となった寺院「観心寺」などの楠木正成ゆかりの地があるので、西代神社に来たついでに見に行くのもいいかもしれない。
西代神社は南海高野線(なんかいこうやせん)の河内長野駅(かわちながのえき)から徒歩でもほど近い場所にあるので、近くに来た際はぜひ立ち寄ってみてください。
アクセス
西代神社(西代えびす)
〒586-0016 大阪府河内長野市西代町16−5
公式HP:西代神社










